とりあえず、オイラの聴いてきた音楽と、それにまつわる与太話。 HR/HMを中心にRock,Popsを節操なく綴る、「背徳のゴーイング・マイウェイ」(c)はぐれ。 タイトルは、元MegadethでJ-POP好きなあまりに日本に引っ越して来ちゃった、フリードマンさん@新宿区民の口癖から拝借。
2007-03-20
Ozzy Osbourne「Tribute」
25年前の今日、1982年3月19日。一人の若きギターヒーローがこの世を去った・・・・。
Randy Rhoads。1956年、カリフォルニア州・サンタモニカで生まれた彼は、音楽学校を経営していた母親の影響で子供の頃からギターに興味を持ち、その学校でレッスンを受ける。
レッスンを始めて1年程たった時、先生から「もう、私の教える事は何も無い。」といわれる程に上達。
その後1975年にQuiet Riotを結成。本国アメリカでの契約は取れず、日本でのみ2枚のアルバムをリリース。3rdアルバムを製作するものの、発売に至らずバンドは空中分解。
そしてBlack Sabbathを脱退して自分のバンドメンバーを探していたOzzy Osbourneのオーディションに呼ばれ、乗り気で無いながらも出向いたRandyは、ほんの数分のPlayでOzzy Osbourneバンドのギタリストの座を手に入れる。
デビューアルバムのBlizzard Of Ozz、2ndアルバムのDiary Of A Madmanが大ヒットして、そのDiary Of A Madmanの全米ツアー中に、あの悪夢が起こった・・・・・・・。
当時、全米ツアーの移動はバスだったんだよね。
ドライバーは10数時間ぶっ通しで運転して、途中の休憩地に着いた時にメンバーを遊覧飛行に誘ったんだよ。
そのドライバーは飛行機の操縦免許も持っていて、KeyのDon AireyとRandy、他2人のスタッフか交代で乗り込んだんだって。
まずはDonとスタッフA。数分の遊覧飛行の後にRandyとスタッフBに交代。そして、上空を旋回した後に飛行機はバランスを失い低空飛行に。駐車してたツアーバスに軽く接触した後に民家に激突。
原因はパイロットの疲労からくる操縦ミス。
っていう風になってて、オイラもそうだと思ってた。今日の夕方までは・・・・。
Randyの死後25年たった今日、Quiet Riot、Ozzy Osbourneバンドで一緒にPlayしてたRudy Sarzoが一冊の本を出版したんだよ。オフ・ザ・レイルズと題されたそれは、Rudy が書き残していた日記を基に書かれた、当時の回顧録。
Rudyは、いまだに世界中で会うファン達から、Randyの事を聞かれるんだって。
そんな中、OzzyとSharonのOsbourne夫妻から、再結成Black Sabbathのバックステージに招待されたそうな。そこで昔話に花が咲いて(当然Randyの事も・・・)帰り際、Sharonがそっと「Ozzyは当時の事、ほとんど覚えていない」と告げる。
帰りの車を運転しながら、Rudyはこの本の執筆を決めたんだって。Randyの素顔を知ってもらう為に、あの事件(あえて事件と書くよ)の真相を知ってもらう為に。
オイラもまだ全部読んでないんだけど、あの事件の部分だけ先に読んでみたんだわさ。
・・・事件が起こる数分前、ツアーバスで眠るRudyをRandyが起こしに来たんだって。
「飛行機で遊覧飛行しよう!」って。でもRudyは疲れてたんで、「自分は寝てるから、みんなでいって来てくれ」って言って、また眠りについたそうな。
そして数分後、激しい衝撃と爆音に飛び起きたら、バスの中はメチャクチャになってて、あわてて飛び出したら、外で飛行機が民家に突っ込んで炎上してたと。
後にDonから聞いた話だと・・・・・
DonはRandyが乗った飛行機を写真に撮って、後でRandyにあげようと思って望遠レンズで写真を撮ってたんだって。そんで低空飛行になったときに望遠レンズから見た機内では・・・。
RandyとスタッフBが、必死でパイロットを止めてる姿が見えて、その直後にバスに近づいてきたんで、地面に屈んだ所で衝撃と爆音と共に飛行機が民家に突っ込んだんだって。
この時、このパイロットの奥さんがバスの出入り口の所に居たそうなんだけど、奥さんの仲が上手くいってないパイロットは、なんとか縁りを戻そうとしてたんだけど、離婚は免れない状態だったそうな。そして、ドラッグをやって正常な精神状態で無くなった彼は、飛行機をバスにぶつけて、無理心中を図ろうとしたと・・・。
その後Ozzyは酷く落ち込み、「どの面さげて、Randyの母さんに会えば良いんだよ。彼女は俺を信頼して大事な息子を預けてくれたのに、こんな事になって申し訳が立たない」「なんで俺でなく、彼なんだ?!」と・・・。そして、アルコール漬の毎日に溺れていく・・・。
Rudyも、Randyがみんなの命を救ってくれた事に感謝しながらも、自分が生きている事に罪悪感を覚えて、結局バンドを去ってQuiet Riotの再結成に・・・。
オイラがRandyのPlayと出会ったのは今から22年前。もうRandyが居ない時だったんだよね。
Ozzyは新しくJake E Leeをギタリストに迎えて、3rdアルバムBark At The Moonがヒットしてて、その流れで遡ってBlizzard Of Ozzを聴いたのが出会い。
そこで出会ったRandyのPlayは、クラシカルなフレーズと激しいHeavy Rockの激しさが融合した音で、Jake E LeeのフラッシーなPlayよりも気に入ったんだよね。
特に、B面1曲目のMr. Crowley。エンディングでのSoloは、いまだに聴くと鳥肌が立つ位に大好き。物悲しくも激しいソロで、耳にする度に目が潤んでくるのがわかる程。
全然レビューになってないけど、今日はRandyの命日なんで、こんな内容にしてみたよ。
タイトルにしたアルバムは、オイラが高校生の頃、Randyへの追悼の意味でリリースされたLiveアルバム。Bootが沢山出てて、Ozzyが「きちんとした形でリリースしよう」と企画されたとか。
LiveでのRandyは、所々ミスも目立つんだけど、それを問題にさせない程の激しいPlayなんだよね。んで、最後にボーナストラックとして、スタジオ録音のDeeっていうクラッシックギターのインストが入ってるんだよ。これは、1stのBlizzard Of Ozzに収録されてる曲なんだけど、編集されてないVerで、Randyの声とか、弾き終わった後にギターを置いてスタジオを出て行く足音までがノーカットで収録されてんの。
なんかね、聴くたび思うんだけど、Randyがお別れにDeeを弾いて、天国へ歩いていく姿が目に浮かぶんだよ・・・・。
では、今日はオイラが大好きなRandyのPlayのMr. Crowley。そして、このアルバムTributeがリリースされたときに作られた、Randyの追悼PVのCrazy Train。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
5 件のコメント:
ううーん、壮絶な死ってのはこういうのを言うんだね。
ランディの名前も、幾多のバンド名やアーティスト名と同じく、中学校時代によく聞いた名前だな。(多分、ほとんどYABEさんからかな?)
どぉおおぁああああ~Randyきたぁ~!!!中学時代の同級生が狂ってたんで、懐かしい名前です。Ozzyはロシアでのロックフェスのパフォーマンスぐらいしか見たことないから全然知らないんだけど。。。大概OzzyファンイコールRandyファンぐらいじゃないですか?
それにしても、ここ最近の兄さん記事連続して絶好調な感じですね。どうもうちのPCと相性悪いのか、コメント投稿しようとしては はじかれたり、はんぐったりで、もどかしいのですが。今度こそっ。ぽちっ。
>はぐれ
そうだねぇ。当時はミュージシャンの死ってさ、ドラッグのover doseとかってのは良く聞くけど、飛行機事故ってのは珍しかったよね。しかも、その事故の原因が無理心中だったなんて・・・・。
Randyの場合、2枚のアルバムしか残してなくて、(日本だけQRの2枚も出てたけど)これからの活躍が期待されてただけにね・・・。
日本じゃ、今年が没後25周年って事で、いろんな雑誌でRandyの特集組んでるんだけど、ステージ以外での写真って、ほんと穏やかないい笑顔の写真ばっかで、OzzyとRanyが悪魔と天使って表現されてたのもうなずけるよ。
>もりをっち
そのロシアの映像、多分オイラも見たわ。相変わらず、Ozzyはステージ上でウロウロしてたけど。
記事連続っつても、実質週刊いいじゃん!になってるんだよねー。はじめた当初は、日刊いいじゃん!だったのに。
今回は、3/19って事で、これは1/4と共に、「絶対にはずせない」って立ち上げ当初から考えてたんだよ。だから、夜中の3時過ぎまで気合入れて書いたんさ。
そうそうそう(笑)<ステージうろうろ
なんかよっぽど おどろおどろしいステージ展開するんだろうって思い込んでたから、なんか可愛いじいさん出てきたぞって感じでビックリでしたわ。Ozzyの他に、BON JOVI、Cinderella、Scorpions、Gorky Parkとか出てたんですよね。MTVの有料放送で、父親を拝み倒して見たんです。あのビデオ我が家のどっかに眠ってるはずなんだけどなぁ。。。
コメントを投稿